「はつこいのひと」

 ベッドの上、パジャマ姿のコメットがティンクルホンで話してる。
「…うん、そうそう。とっても楽しかったの… お母さまも来ればいいのに…」
 気心しれた家族だから、コメットの屈託のない笑顔もどこか甘えてみえる。
「うん… じゃあお休みなさい」
 電話をきったコメットは窓の外、はるか故郷のある星々を見上げた。
「姫さま」
 ふっ、と寂しそうな顔をみせるコメットにラバボーが声をかける。
「王妃さまと電話?」
「うん。こっちのお正月の事いろいろ話したらお母さま、懐かしがってた。たまにはこちらにいらしてって言ったんだけど…」
「王さまも王妃さまも、ああ見えてお忙しいんだボ」
「分かってるよ… 言ってみただけ」
 ラバボーはそっとコメットに寄り添った。
「寂しいのは姫さまだけじゃないボ。王妃さまも王さまも同じだボ」
「うん、そうだね… そうだ!」
 コメットの瞳がパッと輝いた。
「おみやげ」
「おみやげ?」
「うん。地球のおみやげ。星のトレインで贈るの」
「それ、いいかもだボ」
「お父さまの分は、もう考えてあるの。ね、ラバボー。明日つきあって」
「もちろんだボ」
 素敵な思いつきにウキウキしてコメットは布団をかぶった。早く明日になるように。

 海からの風もおだやかなお昼どき、潮のかおりをいっぱい浴びて、コメットは冬の海辺をラバボーと散策した。
「…王さまのおみやげ」
 コメットが片手にぶらぶらさせてるビニール袋の事だ。
「そんなのでいいのかボ」
 景太朗パパにもらったお小遣いで、さっき商店街で買ってきたのだ。
「うん、これでいいの。お父さまの好きなもの、ちゃ〜んと分かってるから」
「さすが親子だボ」
「問題はお母さまよね」
「ボーは知ってるボ」
「え、なになに」
「王妃さまにとって最高のおみやげは…」
 しったかぶりの顔でラバボーが言う。
「姫さまが王子さまを連れて星国に帰る事だボ」
「んもぉ〜」
 コメットはウシビトさんみたいな声をだした。
「それはそれ。私は、お母さまになつかしい地球の思い出を贈りたいの」
「またそうやってごまかす」
「ごまかしてないよ。ホントの気持ちだよ」
 そういってコメットはまぶしい海に目を細めた。
「この海のかおり、とどけられたらいいのにな。だってこんなに気持ちいいんだもん」
 空に向かって背伸びする。つられてラバボーも。
「においだけじゃなくて、この海ぜ〜んぶ、お母さまに届けたいな。海も、空も、お日さまもとんびも砂浜もぜ〜んぶ」
「そりゃまた随分よくばりだボ」
「へへっ」
 よくばり姫さまの照れかくし。それをさえぎるようにラバボーが声をあげた。
「ほらほら姫さま、あれ」
「なあに」
「あそこだボ。全部つまってるボ。海も空もお日さまも」
「ほんとだ。ぜ〜んぶあるね」
 道路わきの堤防に寄りかかるようにして、一人の男の人が絵を描いていた。イーゼルをたて、脚立に座って海を眺めていた。
 目深にかぶった帽子と豊かにたくわえたヒゲのせいで表情はよくわからないけれど、そこからのぞかせた瞳が優しく海を見つめていた。
 男が絵を描くその情景そのものが一枚の絵のようだった。
 なんだか吸い込まれるようにコメットは男に近づいた。
「…すごい、とっても上手」
 コメットはその絵の出来に驚いた。
「絵は好きかい」
 まるでこちらに気づかないように見えた男が、振り向きもせず声をかけてきた。ぶっきらぼうなその言葉に、なぜだか優しい響きを感じた。
「私、海が好きです」
 コメットは正直に言った。
「だからこの絵も好きです。だって本当に潮のかおりが漂ってくるみたいで」
「おもしろい褒めかただ」
 男のあごひげのあたりが微笑んだようにみえた。
「変わった子だね、君は」
「あ、えっと、よくそう言われます」
 照れ隠しのつもりかコメットは、手をうしろに組んで絵をのぞきこんだ。
「でも… ほんと上手。どうやったら、こんなにうまく描けるんですか?」
「うまいか下手かは大事な事じゃない」
 男の持つ筆がパレットに色を探し、またキャンバスに戻る。
「大事なのは絵に気持ちが、輝きがこもってるかどうか… そうじゃないかな?」
「ふふふ… おじさんも、少し変わってます」
 男の横顔が、今度ははっきり笑みをうかべた。
「なるほど。僕らは変わった者同士というわけか」
 男がはじめてコメットを振り向いた。帽子の奥に少年のような瞳が輝いていた。その瞳がコメットを一目見た瞬間、驚きに染まった。
「…どうしたんですか」
 男が落とした絵筆を拾いながら、コメットが尋ねる。
 「はい」と渡した筆を受け取ろうともせず、男はまるで金縛りにでもあったようにまじまじとコメットをみつめた。
「…信じられん」
「えっ」
「君だ」
「はい?」
 なにがなにやらすっきりさっぱりビト。そのコメットの手をしっかと握りしめ、男は言った。
「君こそ僕の探し求めていた人だ」
「はあ?」
「僕の絵のモデルになってくれないか!」
「ええ〜〜〜っ!」
 驚きのあまり古典的ギャグを放った事にも気づかないコメットだった。

「へえ〜、コメットさんが絵のモデルにねえ」
 だんらんのひととき、藤吉家のみんなはコメットがもらって帰った名刺をのぞきこんだ。
「『画伯、水原洋』… え〜っ!?」
「まさか、あの!?」
 景太朗パパとさやかママが驚いて顔を見合わせる。
「知ってるんですか」
「知ってるもなにも、ねえパパ」
「有名な絵描きさんだよ… あれ?」
 と首をかしげるパパ。
「でもたしかあの人… 風景画専門だったような」
「今はそうだけど、昔は肖像画で有名だったのよ。特に美人画描かせたら右に出る者がいないくらい」
 今度はコメットがつよし、ねねと驚きを分かち合う番だった。
「じじんが!?」
「ががんぼ!?」
「なんか、照れちゃうね」
 頭ポリポリしながらコメットさん、まんざらでもない様子。
「とにかくなんにしても、すごいよコメットさん」
「い〜や、喜ぶのは早い」
 意味深なつよし発言に家族一同が振り向く。
「これはきっと、アレだよ」
「なに、アレって?」
 しったかぶりのつよしがニヤ〜ッとコメットを見て腰をくねらせる。
「ぬ・う・ど」
 いい気になってくねくねダンスを踊るつよし。だが。
「はっ!?」
 気がつくとつよしはママ&ねね&コメット3人の冷たい視線に包囲されていた。
 じと〜っ。
「す」
「け」
「べ」
 ケーベツのまなざしと、この先に待つであろう長い人生で幾度となく言われることになるその言葉は、
 まだいたいけなつよしの心に深い傷跡を残した。
「つ、つおしくん、スケベじゃないぞ」
 じと〜っ。
「ち、ちがうもん」
 じと〜っ。
「うっうっうっ…」
 つよしはすがるようにパパを見た。女3人相手に勝ち目なしと悟ったパパは慌てて新聞を読むふりをした。
「うっうっ… ウワーン!」
 孤立無援となった少年は男に生まれたことを悔やみつつダッ、と駆けていった。
「勝った」
「正義は勝つ!」
「女は強い」
(女は怖い、の間違いじゃないの)
 そんな事を思いつつパパが新聞から顔をのぞかせてるとき、家の電話が鳴りだした。
「あ、はい」
 電話をとったパパがコメットを手招きする。
「?」
「水原先生」
「えっ」
 慌ててコメットは電話を代わった。
『コメット… さんかい』
「はい」
 なんかおかしい。電話を取った時のモヤモヤの理由が、名前を呼ばれてはっきり気づいた。
 水原さんにはここの家の電話も、自分の名前さえ言ってなかったはずなのに。
『すまない…』
 電話のむこうのくぐもった声がコメットの思考を引き戻す。
『昼間の話… なかった事にしてくれないか』
「えっ」
『すまない…』
 唖然とした表情で立ち尽くすコメット。電話の向こうのツーツーという音だけが虚しく響いていた…

 さやかママに買い物を頼まれ、出かけた商店街。けれどコメットの中のモヤモヤは晴れなかった。
「姫さま、昨日の電話の事まだ思ってるボ」
「うん。だって…」
「ゲージュツカっていうのはみんなきまぐれビトなんだボ。気にしちゃいけないボ」
「そうかな、でも…」
 何か言いかけたコメットをラバボーがさえぎった。
「姫さま、姫さま!」
 通りかかったなじみの喫茶店の中に、ラバボーはあの人を見つけた。
「ほら、あそこ」
 中でコメットに手を振ってるのは、流木アートの鹿島さん。そしてその向かいでコーヒーを飲んでるのは…
「あ〜っ」
 そう、あの人だった。コメットと目が合ってしまった水原はヤバ、という顔になり、苦笑いを浮かべた。

「水原さんと鹿島さんって、知り合いだったんですか」
「知り合いというか… 大先輩だし」
「同じような事してるとどうしても… 狭い町だしね」
 コメットのご機嫌も、おわびのしるしのケーキとココアでちょっとよくなった。
 そんなコメットを上目づかいに、水原はポツポツと話しだした。
「ゆうべ、あんまり嬉しかったんであのあと鹿島君に電話したんだ。いいモデルが見つかったってね」
「どんな人ですか? って尋ねたら、水原さんよっぽど慌ててたのか、その子の名前さえ聞いてなくて」
 鹿島はクックッ、と笑みを浮かべた。
「でも特徴を話してもらったら、すぐにコメットさんの事だって分かったんだ」
 けれどふたりの説明を聞くほど、コメットは分からなくなった。
「だったら、なんでモデルの話、なかった事にしてくれ、なんて言うんですか」
 うつむいて黙り込む水原。助け船を出すように鹿島が応える。
「僕がコメットさんの事、説明しだしたら水原さん、急に元気なくしちゃって…」
「コメット… さん」
 昨日とはうって変わって、水原には落ちついた大人の表情が浮かんでいた。
「誤解しないでほしい。君に魅力がないとか、そういう事じゃない。君は輝いてるよ。
 昨日あった時も、そして今も。まぶしいくらいにね」
 そういって彼は目を細めた。お日さまを見るように。
「僕にもその輝きを分けてほしいと思った。君の力をもらって、もう一度輝きたいと」
「喜んで。私でよければ」
 だが水原は虚しく首をふった。
「僕が悪いんだ… もっと早く気づけばよかった」
 無邪気なコメットの顔がまぶしくて、水原はまっすぐに見れなかった。
「君を傷つけてしまうかもしれないから…」
「あのぉ…」
 無邪気な微笑みが首をかしげる。
「私、水原さんの言ってること、よくわかりません」
「そうだね。わからなくて当然だが… 全て忘れてくれないか。僕も忘れるから… !?」
 自分勝手なおのれの言葉に自己陶酔している水原がふとコメットを見ると、
「う〜」
 コメットはテーブルにしがみついて離れないぞという恰好だった。
「き、君…」
「ちゃんと説明してください」
 断固徹底交戦の構えのコメットだった。
「でないと帰りません」
 その瞳に宿る決意は固かった。
「しまいにはメテオさん呼びます」
 言葉の意味はよくわからないがとにかくすごい決意だった。
「忘れる、なんて言わないで下さい」
 そういってコメットは唇をかんだ。
 悲しかったから。昨日あんなに輝いていた水原が、夕べの電話の時も、そして今もすっかり輝きを失っていたから。
「…きのう、私と水原さんが出会ったのも、水原さんが私をモデルにしたいって言ったのも、そして私がここに来たのも、
 きっと意味があるんだと、そう思うんです。何かの導きがあったんだと思います。そう思わないと… 
 全部なかった事にしちゃったら… そんなの…」
 水原を見つめるコメットの瞳。水原はそっと目を閉じ、そしてコメットの言葉をかみしめていた。
「…星の導き」
 水原のつぶやきに今度はコメットが、そしてティンクルスターの中のラバボーが驚く番だった。
 水原は静かに言った。
「話そう」
 そして静かに立ち上がった。
「全てを話した上で、君にモデルになってもらうかどうか、決めてもらうよ」

 彼のアトリエは海沿いの、旧家の立ち並ぶ一角のこんもりした竹林の中にあった。古びた外観と裏腹に、
 リビングの広い窓から差す日差しがフローリングの床をあたたかく満たしていた。
 一緒に行こうか、という鹿島の申し出を断って水原はコメットひとりを連れてきた。
「コメット… さん。君は外国から来たの?」
「はい」
「ご両親は遠くに?」
「はい。でも二人とも元気です。父も、母も」
「そう…」
 水原は鍵を取り出し、部屋の奥のドアを開ける。そこが彼の古戦場だった。
 絵の具の匂い。しめついた匂い。水原が大きな窓を開け、何年分かの年老いた空気を追い出し、画家の仕事場に相応しい
 高い天井のすみずみにまで冬の寒気が心地よく流れ込み、ようやく部屋が息を吹き返した。
「さあどうぞ」
 懐かしそうに水原が天井を見上げる。入ってきたコメットもつられて見上げる。
「わあ」
 コメットが思わずため息をついたのももっともだった。天井といわず、壁といわず、部屋いっぱいに描かれていたのは、満天の星。
「星は好き?」
「大好きです」
「だと思った」
 水原は子供みたいな笑顔をみせた。
(姫さま、怪しいボ。この人ひょっとしてタンバリン星国のお…)
 ティンクルスターの中のラバボーのおしゃべりをコメットは慌てて手でふさぐ。
 まさかね。だってもうおじさまなのに。
「これ、水原さんが描いたんですか」
 聞かなくても分かることを、なぜかコメットはたずねていた。
「昔、好きだった人がいてね」
 少し顔を赤らめ、水原は昔を語った。
「彼女を喜ばせたくて、部屋いっぱいに星を描いたんだ。星が大好きなひとだった…」
 雑然と置かれたキャンバスの群れの中をかきわけるように二人は部屋の奥へと進んだ。
「不思議な人だった… 彼女がそばにいるだけで世の中のすべてが美しく見えた。何もかもが、僕に『描いてくれ』と言ってるように見えた。 
 …あの頃の僕は、輝いていた」
 水原の言葉よりも、目の前の絵画たちがそれを雄弁に物語っていた。
「…その人は」
 なんだか聞いてはいけないような、でも聞かずにはいられなかった。
 彼は静かに首をふった。
「…でもね、後悔はしてないよ。別れたのは彼女のためだったと、信じてる」
 けれど彼の表情は言葉とはうらはらだった。
「君に見せたいものがあるんだよ」
 部屋の奥に、覆いをかけた一枚の絵がたてかけてあった。
「君に出会って、僕は確信した。やはりあの人と別れて正解だったって」
 見てはいけない。言いようのない不安がコメットをおそった。
 水原は静かに覆いをはずした。コメットは息を呑んだ。
 一人の天使が天に昇っていく姿だった。雲間から差す光に向かって飛ぶその姿は神々しく、そしてその顔は慈愛に満ちていた。
 けれど、姿形は違っていても。間違えようもなかった。この人は…
「これが僕の初恋の人…」
 声を失ったコメットに、水原は静かに告げた。
「そして、君のお母さん… そうなんだね」

後編へ・・・