肌寒い朝の風。アトリエの庭先で一人静かに、水原は待っていた。白い息をはき、通りをみつめていた。
 待っていていいのだろうか。
 あの子はショックを隠せない様子で、それでも今日来てくれると言った。
 あの子を傷つけてしまった。そしてさらに傷つけようとしている。
 多分、来ないだろう。自分の中の良心がそれを願っている。
 なのに待ち遠しい。
 もしもあの子が来てくれたなら… その時には、自分の全身全霊を尽くして作品を描こう。
 彼女を、そして彼女の母を傷つけた自分にできることは、それしかないのだから。
 …何を期待してるんだろう。自分はどうかしている。
 ため息が水蒸気になって寒空に昇っていく。水原は首をふり、家に戻ろうとした。
「おじさま」
 水原にはそれが天使の声にきこえた。
 路地の陰の竹塀から、あの子が顔をのぞかせていた。
「やあ…」
 平静を装って声をかけた水原は、けれどコメットの姿に声を失った。
「えっと、母に負けないように、こんな恰好してきました」
 水原の描いた絵から抜け出たような天使がそこにいた。

 春を思わせる日差しがアトリエの中にまでいっぱいに広がっていた。
「その恰好、どうしたの?」
 まさか『ススッとヌイヌイしてもらいました』とも言えずコメットは、
「ええと… 友達に作ってもらいました」
 そう、といったきり、あとはまた静寂が戻った。
 自分でも驚くくらい平穏な気持ちが水原を包んでいた。彼の筆は自然に彼女を、見たままの輝きを写しとっていた。
 初恋の人の時の燃えるような情熱とは違う、けれどそれにもおとらない静かな情熱に、彼は身を任せていた。もう何年も忘れていた、
 何の邪念もない安らかなひとときだった。
 そんな水原の満足そうな表情をコメットもまた、嬉しそうにみつめていた。彼にとってコメットが特別な人なのと同じように、
 コメットにとって彼は特別な人だった。
 幼い頃から何度も聞いた、お母さまの地球での思い出。中でもいちばん、お母さまが目を輝かせて話してくれた事…

   『いろんな楽しい事があったの。泣いたり、笑ったり、恋をしたり』
   『恋?』
   『ふふふ… お父さまには内緒よ』

 そうささやいたお母さまの笑顔。子供心にそっと胸にしまった、ふたりだけのないしょばなし。
 お母さまに笑顔をくれたひと、お母さまに輝きをくれたひと。
 自分がこの地球に来たのも、今ここにこうしているのも、目の前にいるこの人がいたから。
 だからおじさまに輝いてほしかった。うつむいた笑顔じゃなくて。
 そして今、水原は輝いていた。
「もうちょっと、上を向いてくれないか」
「あ、はい」
 しんとしたアトリエに衣擦れの音だけが響く。
 雲ひとつない青空のように、おだやかでかけがえのないひとときが過ぎていった。

「悪かったね、疲れたろう」
「ちょっとだけ。でも楽しかったです」
 食事も忘れて熱中する水原についつられてコメットも、日が傾くまでつきあって、ようやく普段着に戻って遅い食事をとったところだった。
「…今思うと、なんだかケンカばかりしてた気がするなあ」
「たとえば?」
 上機嫌な水原の昔話に、思わずコメットは身を乗りだす。
「そうだね… なんだかしょっちゅう、お互いの事『バカ』って言ってた気がするし」
「そ、そうなんですか」
「あと、彼女の料理があんまりマズいから文句言ったら、あてつけで激辛のカレー食べさせられたり」
 笑いをこらえてプルプル震えるティンクルスターをギュッとつねるコメット。ティンクルスターがピョーン、と飛びあがる。
「え、なに今の!?」
「な、なんでもないです。ははは…」
(お母さまったら。私とおんなじ事してる)
 そんな楽しい食事も終え、一日の心地よい疲労感のなか、水原とコメットは海辺を歩いた。二人をねぎらうように
 夕日が二人をあたたかく照らしていた。
「やっぱり、すごいですおじさま。一日でほとんど描けちゃった」
「下絵はね。まだまだこれからさ」
「でもおじさま」
 少しいたずらっぽくコメットが横目で見る。
「あれ、私じゃないでしょ」
 コメットの洞察力に、水原は正直に驚いた。
「…バレた?」
「バレバレです」
 モデルは少し怒ってみせる。画家は照れて笑ってみせる。
「半分はきみ。そして半分は…」
 大事な言葉は呑み込んで、二人は沈んでいく夕日をみつめた。
「…今日は、本当にありがとう」
「明日もがんばります」
「もう、いいんだよ」
 驚くコメットに水原は、自分にいい聞かせるように言った。
「もう充分だよ。君の輝き、いっぱいもらったから。もうみんな、ここに入ってるから」
 そして幸せは、慣れてしまうとそれなしではいられなくなるから。
「私、絵が仕上がるまでモデルやります。そうさせて下さい」
 なんて顔をするんだろう、この子は。水原は思った。魅力的で、無防備で、どこまでも真っ直ぐで… 同じだ。あの人と。
 その時、「あの人」の声が聞こえた。
「…困った人」
 幻聴だ。水原は思った。あの人の事を考えるあまり、幻の声が聞こえたんだ。
 けれど幻ではなかった。
(まさか…)
 波打ち際にその人が立っていた。たとえ何年も会わなくても忘れるはずのない人が、二人をみつめていた。
「…お母さま!?」
 けれどそれはコメットの知らない王妃だった。見慣れない地球の服を着ていたからではない。
 その感情を押し殺したような表情、冷たく水原をみつめる瞳。
 そんな王妃を見るのは初めてだった。
「困った人」
 もう一度、王妃はつぶやいた。
「大人の事情を、子供に見せるなんて」
「違うのお母さま。そんなじゃないの。私が…」
「コメット」
 子供の口出しする事ではない。その口調が、目がそう言っていた。
(…お母さま、怒ってる!?)
「お母さんの言う通りだ… 悪いのは僕だ」
 辛そうに、言葉をしぼりだすように水原は言った。
「…この子の事を知った時、関わっちゃいけないと思った。二度と会わないつもりだった…」
 メモリーボールで事情を呑み込んでいるのか、王妃の表情は変わらなかった。
「でも、会わずにいられなかった。この子の顔を、君の面影を残したこの子を見ているうちに…」
「いくつになっても、大人になれない人ね」
 水原の手から奪い取るように、王妃はコメットの肩に手をやった。その手の冷たさにコメットは驚いて王妃を見上げた。
(違う… お母さま、悲しいんだ)
「わかっているはずよ… あなたのわがままはこの子につらい思いをさせるだけ」
 けれどコメットには、そう言った王妃の方がつらそうに見えた。
 なぜ?
 なんで水原さん、うつむいてるの? なんでお母さま、悲しい顔するの? せっかく会えたのに、嬉しくないの?
 コメットは王妃の手を振り払い、水原をかばうように二人の間に立った。
「コメット」
 王妃は少し表情をやわらげ、幼い子にいいきかせるように言った。
「これは大人の話、あなたには分からない事よ」
「ううん、分かるよ」
 コメットは首をふる。
「私、水原さんを信じてる。お母さまを愛してくれた人だから」
 「愛」という言葉の意味など、どうしてこの子に分かるだろう。二人でいた時の真っ直ぐな思いを、別れてからの深い思いを… 
 揺れ動く思いを断ち切ろうと、王妃は自分に言い聞かせる。
 けれどコメットは母の目をみつめて言った。
「お母さまは今でも水原さんの事…」
 たとえ恋の意味は知らなくても。お母さまが話してくれた地球の思い出、その時の笑顔の意味なら分かるから。
「だから、お母さま」
 心を開いて。本当の気持ちをみせて。
 コメットは思わずバトンを出し、振り上げていた。
「いけない、コメット!」
 王妃が止めるのもきかずコメットはティンクルドレスを身にまとい、ためらう事なく星力を使った。
「エトワール!」
 目もくらむ、まばゆい光が王妃と水原を包んだ。
「ああっ…」
「こ、これは…」
 その光が徐々に晴れ、目が眩しさから開放された時、水原は自分の身体が軽くなったような気がした。肌には張りが戻り、
 あごひげは消え、そして肩までかかった髪。そして何より身体の奥から漲る力。まるで若返ったようだ。
 そう、彼女と出会った頃のように…
 そう思った水原が顔をあげた時、彼は自分の目の前に信じられないものを見た。
(…奇跡だ)
 出会った時の彼女がそこにいた。
 黄色のシャツにショートパンツ、頭に黄色の野球帽をちょこんとかぶった少女が、何事が起こったのかとあたりをキョロキョロ見回していた。
 水原は思わず笑みをもらした。
(変わらない。昔のままだ)
 いっぽうの王妃は自分の身に起きたことにようやく気づいて、
「もう、あの子ったらなんて事しちゃったの」
 思わずそう言った。その自分の声の若さに驚く。
 その彼女を呼ぶ声がした。
「コメット」
 何度その優しい声をかけられただろう。何度その優しい声に振り向いただろう。
 自分の名を呼ぶ懐かしい響きに、少女は振り向いた。
 懐かしい人の昔のままの笑顔がそこにあった。彼女は思わず両手で自分の口を抑えた。
(…駄目)
 思わず顔をそむけた。でないと思い出に流されてしまうから。
 鼓動が高鳴る。おさえようと思えばおもうほどそれは大きくなっていく。
 震えるその小さな肩に、水原のコートがそっとかけられた。彼の優しさがぬくもりとなって彼女に伝わった。
「…ずるい」
 怒ったように少女は言った。
「…なんで、泣いてるの?」
 言われてはじめて王妃は自分が泣いてるのを知った。
「また、傷つけてしまったね」
 そう言って微笑む水原の目にもあふれるものがあった。
「でも、これで最後だから… 全部、忘れるから」
「…嘘つき」
 気持ちがそのまま言葉になって出た。
「私は、忘れない… ずっと、忘れないよ」
 思ったままを口にして、ようやく王妃の心に安らぎが戻った。
「だから… 忘れないで」
 王妃は水原の胸に顔を埋めた。胸のつかえがおりてしゃくりあげる王妃を、水原はまるでこわれでもしないかと、そっと抱きしめていた。
 いつしか青い空に星がまたたき始めていた。ようやく心を開いた二人を祝うように。
 ときより打ち寄せる波の静けさのほかには時が止まったようだった。
 そっと見守るコメットの傍らに、いつのまにかラバボーが寄り添っていた。
「…姫さま」
「えへっ」
 コメットはネコみたいに手の甲でゴシゴシッと涙をぬぐった。
「うれしいんだよ。嬉しいのに、なんで涙でちゃうんだろ」
 ラバボーはそっとコメットに身を寄せた。
「今夜はいちだんと、星たちがざわめいてるボ」
「そうだね…」
 涙をふいて星を見上げるコメットは、不意に立ち上がって言った。
「ね、ラバボー」
 いつものコメットの笑顔があった。
「飛んで」

 満天の空のもと、コメットは星をみあげてバトンを振り上げた。
「星の子たち、私に力を下さい。みんなが持ってる力をひとつの輝きにして」
 待ちかねていたとばかりに星たちが力を降らす。
「今日は一段と強力だボ」
「もっともっと」
「今日は姫さま、欲張りだボ。そんなに星力集めて何するんだボ」
「うん」
 星たちに聞かれたら困るとばかり、声をひそめてコメットが言う。
「星たちがおしゃべりすぎるから、少しの間静かにしててほしいの」
 ふっと、眼下の海岸線を見下ろして、言った。
「今だけ、二人の事そっとしててほしいの。お父さまに内緒にしててほしいの」
 遠い星国に思いをはせて、コメットはつぶやいた。
「だってお父さまも、きっと私みたいに泣いちゃうから」
「でも、星に星力を使うなんてできないボ」
 そんなの常識、とラバボーが口を出す。
「大体、星の子におしゃべりをやめろ、なんて無茶もいいとこだボ。そんなの、鳥さんに泳げって言うようなもんだボ、
 お魚に飛べって言うようなもんだボ、阪神に優勝しろって言うようなもんだボ。そんなの絶対無理だボ」
「うん、星力使わないよ」
 にっこりしてコメットは言った。
「星の子たちの元気をもらって、おとなしくしてもらうだけ… さあ星の子たち、もっともっと」
「…姫さま、鬼だボ」
 血気盛んな若者に「献血」と称して血を抜き取るようなコメットの高等戦術によって星たちのまたたきは静まり、代わって雲が空を覆った。
 雲の中からポッタンびとが現れ、ポッタンびとはピープーくんの力で氷になった。氷は集まって雪になり、そうして地上に舞い降りた。
 時ならぬ雪はしんしんと海を静め、山も路も家も砂浜も白く染めていった。
 二人の若者は雪を見上げた。それは期せずしてコメットから二人へのプレゼントになった。
「…夢を見ているようだ」
「ええ」
「あの子は… 本当に天使なのかもしれない」
「そうよ。なんたって私の自慢の娘だもの」
 初めての恋は傷つけることしかできなくて、けれどたとえ別れても、結ばれなくても、「好き」という思いだけは変えられはしないから。
 そんな二人をほんのひとときでも、あの子は引き合わせてくれた。
 幸せな再会を果たせたこと。互いの思いを言葉にできたこと。それをかなえてくれたあの子に。
 ありがとう。

 雪がおさまった頃、王妃はアトリエの玄関を出た。あたりは一面の銀世界だった。
 門柱の陰から、不安そうな顔をしたコメットが待ちかねたようにのぞきこんでいた。
「コメット」
 少女の姿のままの王妃に一瞬、母の笑顔が戻った。
「ここに来てたこと、どうして?」
「ラバボーが見つけてくれたの」
「そう。お利口ね、ラバボーは」
 ティンクルスターがほのかに赤らんだ。
「じゃ、帰ろうか」
「うん」
 二人は並んで雪路を踏みしめていった。手をつないで、並んで帰った。
「こんなに手が凍えちゃって」
「いいの。だってその方が、お母さまの手のぬくもり、わかるから」
 空にはまた、星たちがまたたいていた。
「みんなに悪いことしちゃった。ごめんね、星の子たち」
「私からも、あとで謝っておくわ」
「…もう、帰っちゃうの?」
「ええ。だってみんな、心配してるでしょ」
 コメットにはもう一人気になる人がいた。そっと後ろを振り向いた。
 アトリエに灯る窓明りに人影がみえた。
 子供心に、なぜだかもう会えない気がした。悲しくなった。
 そっと寄り添うコメットに、王妃は優しく肩を抱いてくれた。
 なぜだろう。今は女の子の姿のお母さまなのに、腕の中はいつもと同じで広くて、あたたかくて、やすらかだった。
 それがコメットには不思議だった。
「ごめんね、お母さま」
 少し甘えたようにコメットは言った。
「お母さまの方が悲しいのに。ほんとは私が、なぐさめてあげないといけないのに」
 まあ、と娘の事を少し頼もしく思いつつ、
「なまいき」
 王妃は娘のおでこを、指でコッツンコした。
「私はだいじょうぶ。だってね」
 王妃はにっこり笑ってみせた。
「さっき、あの人と約束してきたから。もう泣かないって」
 そう言って心の中で後ろを振り返った。本当に振り向いたら、あの人との約束を破ってしまいそうだったから。
「それよりコメット、そろそろ元の姿に戻しなさい。じゃないと星国に帰れないでしょ」
「やだ」
 コメットはプイッとふくれた。
「もう少しこのままがいい」
「困った子ね」
 けれど王妃の目は笑っていた。
「じゃ、もうちょっと散歩して帰ろうか」
「うん」
 コメットにとっていろんな事があった。いろんな事を知った一日だった。
 そして、今日はじめて、お母さまのこと、かわいいと思った。

 暖炉の火がペンションの食堂をあかあかと照らしている。
「そう… そんな事があったの」
「私… また失敗しちゃったかな」
 どうして、とスピカはコメットに言葉ではなく表情でたずねる。
「お母さま、泣いてた。水原さんも… 私、しちゃいけない事しちゃったのかも」
「そうねえ… 私だったら、しなかったな」
 コメットはまるでしかられた子犬のようにうるうるした目でスピカを見上げる。
「でもコメットは、ふたりのこと、ほうっておけなかったんでしょ」
「…うん」
「そのままにしておいたら、きっとコメットは後悔したんじゃないかな」
「…うん」
「だったら、それでいいんじゃないかな… あなたが正しいと信じる事をしたのなら」
 スピカはうしろからそっと、コメットの肩に手をおいた。
「私はコメットを信じてるから」
 本当はうらやましかったのかもしれない。
 『常識』という衣をまとってしまった自分にできない事を、ためらわずにやれる、一途なこの子が。
「ありがとう、おばさま」
 おばさまになぐさめてほしくて、その言葉が聞けたのに、なぜかコメットの気持ちは晴れなかった。
「安心して、コメット」
 そのわけを本人以上に知っているスピカは、微笑まずにいられない。
「いつだって、お姉さまはあなたのお父さまのこと、とっても愛してらっしゃるわ」
 そんな事も分からないの? とコメットの顔をのぞきこむ。
「もちろんコメット、あなたの事もね」
 コメットはまんまるい目をもっとまんまるくした。
「おばさまは、私の心の中が見えるの!?」
 目の前で魔法を見せられた子供のように、コメットは尊敬のまなざしでスピカをみつめた。
「それも、恋力?」
 スピカはにっこり、コメットにウインクしてみせた。
「恋力はなんでもお見通しよ」
「恋力、すごい…」
 コメットは胸に手を合わせて思った。
「けど私、恋は一度きりでいいな。一度きりの恋をして、そうしてはじめて好きになった人と結ばれるの。おばさまみたいに」
 けれどなぜかスピカはそれには応えず、そっと窓辺に寄り添った。
「…おばさま?」
「初恋… か」
 窓の外をみつめるスピカには、昔の思い出をたどるような夢見る瞳が宿っていた。
「お、おばさま!?」
 コメットは開いてはいけない扉を開けてしまった気がした。そんな、まさか、おばさままで!?
 ああぁ。オトナの世界って、フ・ク・ザ・ツ。

「王さま、どうされました」
「ぬわ〜っ!」
 ほっとした表情でメモリーボールを見ていた王さまは、突然入ってきた侍従長に仰天した。
「な、なんじゃヒゲノシタ。ノックぐらいせんかい」
「はあ、この部屋にドアはありませんが… それより王さま、王妃さまが戻られました」
「そうか」
 メモリーボールをのぞきこむヒゲノシタの前にササッと立ちふさがる王さま。
「王妃さまがお待ちですが」
「そうか、よし。お前もついてまいれ」
 コホン、とひとつ咳をして王さまは、
「ヒゲノシタ… わしがメモリーボールを見ておったこと、王妃には…」
「わかっております」
 王と侍従長はそっと目配せした。

「ただいま戻りました」
「王妃〜っ」
 得意のスライディングを披露する王様。
「おお、戻ったか」
「はい」
 王妃の笑顔につられて微笑む王さま、思い出したようにふくれっつら。
「あら、どうしました」
「…おみやげ」
「は!?」
「おみやげくれなきゃ、やだ」
「まあまあ」
 クスっと笑って王妃は、寝っころがった王さまにあわせてしゃがみこんだ。
「あなた、目を閉じて」
「ん」
 次にされる事をちょっと期待して王さまは目を閉じた。
「はい、アーン」
「アーン?」
 もごもごっ、と王さまの口になんか入った。
「ん、なにこれ」
 ざらざらした触感が口の中で雪のように溶けて…
「おいしい!」
 たちまち王さまはごきげんだ。
 さすがコメットね。王妃は感心した。銘菓『鳩サブレー』は王さまのお気に召したようだ。
「どうです、ヒゲノシタも」
「はあ、ではひとつ… もごもご… んっ!? ひ、ひ〜○×△〜っ!!」
 甘いのが苦手の侍従長だった。
「まあまあ、そんなにはしゃがなくても」
 人々に愛されていることに改めて、幸せを感じる王妃だった。そして…
(ありがとうコメット)
 コメットのおかげで気持ちまでちょっぴり若返った、そんな気がする王妃だった。


(おしまい)