さっきまでの熱狂が嘘のように静まりかえったホール。
 すっかり暮れた公園にコメットとメテオは佇んでいた。
「…シュンさんが倒れたの!?」
「……」
「メテオさん」
「…そうよ」
「だったら、助けにいかなきゃ」
「よしなさい」
 メテオは落ちついた声で、毅然と言った。
「わたしめの調べたところ…」
 今までどこにいたのか、ムークがひょっこり姿を現して言う。
「さきほど救急車で市内の病院に運ばれた、との事」
「病院に!?」
「風邪をこじらせていたとの事で… むろん命に別状はございません」
「そういうこと… だからコメット、わたくしたちの心配することじゃないの」
 ホールの照明がまたひとつ消えていく。
 それを見つめるメテオの姿はどこか悲しそうだった。
「ムーク、帰るわよ… コメット、あなたもあの子たちを連れて早く帰ったほうがいいんじゃなくて」
 ラバボーと遊ぶつよしとねねを横目で見ながら、
「うん… じゃ、あとでお見舞いに行こうよ」
 帰ろうとするメテオにコメットは声をかける。
「私たち、シュンさんのともだちでしょ」
「違うわ。ただのファンよ」
 メテオの表情は、ひどく大人びて見えた。
「ファンが病院に押しかけていくなんて、迷惑なだけ… そうでしょ」
「でも…」
「祭りは、終わったのよ」
 メテオはバトンを一振りし、普段着に戻った。
「お休み、コメット」
 そして星力でサッと雲間に飛び去った。
「メテオさん!」
 コメットもすかさずバトンを取り出す。
「コメットさま」
「ムークさん」
 ムークがコメットの行く手を遮る。
「これ以上、我が姫さまを迷わせないでいただきたい」
「迷わす!? 私、そんなつもりじゃ」
「コメットさまもわかっておられるはず。我が姫さまが彼の記憶を消されてまで、
 王女として正しい道を歩もうとなさっているのを」
「私、そんなの… わかんないよ」
「失礼ながら、コメットさまは分かろうとなさらないのです」
「ん」
 ムーク侍従長の言葉はヒゲノシタに似て苦かった。
「でも、だけど…」
 コメットは、帰り際のメテオの小さな背中を思い出して言った。
「今のメテオさん、見ていてつらいの。輝き、感じないの」
 自分の思いを信じて、コメットは言った。
「メテオさんを迷わせてるのは、ムークさんかもしれないよ」
「うっ」
 コメットが放った言葉の一撃は、ムークの100倍も苦かった。
「姫さま、なにしてるボ」
 ラバボーがとんできた。
「つよしくんとねねちゃん、お待ちかねだボ」
「うん… じゃあね」
 コメットはチラリとムークを見て、そして駆けていった。
「ムークさん、ムークさん… どうしたんだボ」
 ショックで石になったムークをラバボーがつっつく。
「ラバボー、帰るよ〜」
「ごはんに遅れちゃうよ〜」
「ママ待ってるよ〜」
「あ、待ってだボ!」
 行こうとするラバボーを、
「ボー」
 ムークが呼び止める。
「あ、ムークさん復活したボ」
「ボー… ボーも同じなのか、留子さまや、コメットさまと」
「え」
「…このムークのしている事は間違ってるだろうか」
 ラバボーは、そんな自信なさそうなムークをはじめて見た。
「ボーには難しいことはわからないボ。でもはっきりわかることがあるボ」
 ムークは顔をあげた。
「ボーの姫さまもムークさんも、とってもとってもメテオさまのことを思ってるってことだボ」
「ラバボー、置いてっちゃうよ!」
 姫さまにせかされて、
「ボーは、そんなムークさんが好きだボ」
 ラバボーはそう言い残し、一目散に駆けていった。
 ひとり残されたムークはかみしめていた。コメットの言葉、ラバボーの言葉を。
 なんとか持ちこたえていた空から、細かな雨がおちてきた。

雨音が気になって眠れない。
 明かりを消したベッドの中でメテオは思った。
 あのあと逃げるように家に戻り、そそくさとシャワーを浴びてベッドにもぐり込んだけど。
 ううん、気になるのは雨音なんかじゃない。
 落ちつくはずのない気持ちを抑えようとメテオは起き上がる。暗い部屋のなか
 絨毯の感触をたよりに冷たい窓に歩み寄る。
 わたくしは、どうすればいいの。何ができるの?
 けれどこんな天気じゃ、星の子たちに尋ねることさえできはしない。
 深いため息をついて虚しく戻ろうとした時、不意に窓の外が明るくなった。
 車のヘッドライト?
 違う。窓の向こうで誰かの声がする。
「とん、とん、とん」
 メテオは明かりに慣れない目をこすって階下を見下ろした。
(コメット!?)
 ピエロの恰好のコメットが踊っていた。
「それ、それ、それ」
 そうして雨に負けない笑顔をメテオに向けた。
「星国の看護婦さん」
 メテオは思わず苦笑した。
「そこじゃずぶ濡れよ。こっちにいらっしゃい」

 明かりのついた寝室に入ってきたずぶ濡れコメットは、クシュンとかわいい咳をした。
「風邪でもひかれて、わたくしのせいにされてはたまったものではないわ」
 メテオはクローゼットからとりだしたバスタオルを無造作に放り投げた。
「ありがとう」
 コメットは濡れた髪をクシャクシャッと拭いた。崩れた髪形が爆発したようになった。
「もう」
 メテオは有無をも言わせずコメットを鏡台の前に座らせ、髪を整えてやる。
「それで、おせっかいコメットが今夜はわたくしに何の用?」
「ううん。ただ、メテオさん、なんか元気なかったみたいだから」
「それで星国の看護婦になって元気づけようって魂胆なわけ?」
「うん、そう… あはは、メテオさん。そこ、くすぐったい」
「いいからじっとしてなさい」
 コメットの、雨で流れて溶けかかったピエロの化粧をぬぐってやりながら、メテオは言った。
「わたくしは元気よ。わたくしが元気か元気じゃないか、それはほかの誰でもない、わたくしが
 決めることなのよったらことなのよ」
「あ」
「なによ」
「やっとちょっとメテオさんらしくなった」
 ふん、と鼻で笑って、メテオは残り少ない星力でコメットのためにココアをいれてやった。
「ではあなたの目的は達成されたということね。用が済んだのならそのココアを飲んで、さっさと
 帰りなさいったら帰りなさい」
「うん。ココア飲んで帰るね」
 ズズズズ…
「メテオさん」
「まだなんか用?」
「このココア、おいしいね」
「黙ってお飲みなさい」
 ズズズズ…
「ごちそうさま」
 コメットは、ココアを飲み干し、席をたった。
「じゃあね、メテオさん」
「はいはい」
「おやすみ」
「…コメット」
 気持ちを隠そうともせずメテオは言った。
「言いたいことがあるならはっきり言いなさい。わたくしの人並みはずれた
 堪忍袋ももう長くはもたないのよ」
「じゃあ、はっきり言うね」
「どうぞ」
 コメットはメテオの瞳を見つめた。
「もしもシュンさんのこと好きなら」
「な、な、な…」
 火の出るような真っ赤な顔でメテオは叫んだ。
「こ、こめ… こ、コメット〜ォ!」
「やっぱりシュンさんのお見舞いに行ったほうがいいと思う」
「だ、だから、その、そんなことは、その、あの…」
「メテオさんが行かないなら、私が代わりに…」
「それは駄目ぇ〜!」
 叫んでしまってから、まんまとハメられたと気づくメテオだった。
「えへっ」
 コメットがにまっと笑う。
「…わたくしが行って」
 メテオは窓の外に目をやった。
「どうなるというの。わたくしがシュンさまにできることは、もう、何も…」
 メテオは冷たい窓ガラスに手を置いた。
 窓を伝う雨が、ガラスに映るメテオの鏡像に重なり、涙のようにこぼれおちた。
「ううん、あるよ」
 コメットの確信に満ちた声を、メテオはきいた。
「メテオさんがしてあげられること。メテオさんにしかできないこと」
 コメットの声が、メテオには救いの声に聞こえた。
「メテオさんにその気があるなら」
 メテオはコメットを見つめ、言った。
「あるわ」
 コメットはにっこり頷いた。
「じゃあ、ヌイビトさん。おねがい」
「はいですの〜」
 たちまち3人のヌイビトが現れた。
「なに、なになに!?」
「メテオさま」
「ちょっと失礼して」
「ヌイヌイさせていただきますの」
「キャ〜ッ、何するの〜っ!?」
 メテオは光の束に包まれていった…

「ん…」
 静かだ。どうしてこんなに静かなんだろう。
 とても気持ちいい。でも、何かが足りない。
(そうだ。歌わなきゃ)
 瞬はベッドから起き上がろうとする。
(ベッド!? なんで、俺…)
 その瞬を大きな手が優しく押しとどめる。
 黒岩の心配そうな顔が瞬をのぞきこむ。
「気がついたか」
 そうか。病院なんだ。
「…黒岩さん」
 まだぼーっとした頭で瞬は尋ねた。
「コンサートは?」
「無事、終わったよ」
 黒岩の表情が、今夜のコンサートの成果を物語っていた。
「お前が倒れたことも、どうやら気づかれずに済んだ」
「みんなは?」
「さっきまでここにいたけど、ひきとってもらった」
「そう…」
 瞬は肩の力を抜いて、ベッドに沈みこんだ。
「もう何も気にしなくていい。今は自分の体を治すことだけ考えるんだ」
 瞬を安心させようと黒岩は笑顔を作る。
 自分の腕から伸ばされた点滴のチューブを、瞬はまるで他人事のように眺める。
「…不思議だね」
「ん?」
「いつもだったら今頃、打ち上げで大騒ぎやってる最中なのに… 今はこんなに静かだ」
「とんでもないイブになっちまったな」
「でも、たまにはこういうのもいいかも」
 何言ってるんだ。黒岩は苦笑する。俺を責めないでくれる瞬らしい優しさだと、黒岩は思った。
 けど瞬は本気でそう思ったのだ。確かに身体のどこもかしこも悲鳴をあげているけれど、
 気持ちはこんなに安らかで。ただ少しだけ欲を言えば、
「俺、アンコール歌いそこねちゃった」
 こいつ。黒岩は半ばあきれ、半ば頼もしく思った。
「もう、あまりしゃべらないほうがいい」
「大丈夫だよ俺。だからみんなに、よろしく伝えといてよ」
「そうするよ。けど、今夜はつききりで看病させてくれ。それが俺のせめてもの…」
 黒岩がそう言いかけた時、
「そうはいきませんわったらいきませんわ」
 バタン、と深夜の病院にしてはいささか乱暴にドアを開け、小柄な看護婦がつかつかと入ってきた。
「シュンさまの看病はわたくしにまかせていただきます」
 振り向いた黒岩も瞬も、その看護婦に驚いた。
「あなた… この病院の!?」
「看護婦… さん!?」
「ほ〜っほっほっほっ!」
 二人が驚くのも無理はない。まだ少女のようにみえる容姿もだが、なんと古風なナース服だろう。
 初代看護婦ナイチンゲールをほうふつとさせるというか『私が目印よ』とハイジの声で聞こえて
 きそうというか、ともかく、そんな彼女のいでたちだった。
「ところでそこのあなた、検診のジャマよ」
「あ、はあ…」
「さ、シュンさま。検温を」
「あ、はい…」
 ヌイビトたちに輝きを縫い込んでもらったメテオ看護婦は、そつなく点滴の交換からなにからてきぱきと始めた。
 そんなメテオを黒岩はあっけにとられ、半ば感心して見ていた。
「というわけで、あなた」
「え、俺!?」
「さっそくだけど、出ていってくださるかしら?」
「でも俺、ちゃんと許可とってますし、それに専任の看護婦なんて話は…」
「看護婦の、このわたくしの指示がきけないとおっしゃるの」
 メテオがジロッと黒岩をにらむ。
「ここは病院ですのよ。病院といえば清潔第一! しかるにその濡れねずみのような恰好! 煙草くさい服! おまけに
 うっすら生えてきた不精髭!!」
 メテオの放つ言葉の十字砲火に黒岩はたじたじとあとずさる。
「患者の健康を思うならば、あなたのすべき事はただひとつ!」
「わ、わかりました」
 黒岩はあたふたと鞄をとる。
「じゃあ看護婦さん、瞬をお願いします」
「まかせなさいったらまかせなさい」
 メテオは大いばりで、ない胸をはる。
「じゃ、瞬。また明日」
「あ、ああ。ありがとう黒岩さん。おやすみ」
 まるで追われるように黒岩は出ていった。
 ふん、と鼻息荒くメテオは勝ち誇った表情をみせる。

 いつの間にか病室の外まで来ていたムークは、あたふたと出てくる黒岩から身を潜め、なおも部屋の様子を伺っていた。
(わたしめは、ただ見守るしかできませぬ…)
 侍従長の憂鬱は深かった。

「何を考えてらっしゃるの」
 そう言われて瞬は、自分がいつの間にか笑顔になってることに気づいた。
「うん。なんだか君が来てくれて、すごく楽になったみたいで」
 最初はどうなることかと思ったけれど。
「ほほほ、それはもう」
 メテオは鼻高々に豪語する。
「なにしろ我がカスタネット星国の医学薬学はぁ〜」
「え、なに? かすた…!?」
「お〜ほほほ、こっちの話ですわ」
 なんでだろ。一見無愛想でぞんざいに見えるこの看護婦さんのすることなすこと、細かく行き届いていて… 
 まるで母さんに看病されてるみたいにあったかくて、どこかなつかしくて。
「タオル、替えますね」
 メテオはかいがいしく働き、瞬はメテオにされるままに従った。
「君も、もう休んでくれていいよ。俺、もう大丈夫だから」
「それは看護婦のわたくしが決めること」
 メテオは、お姉さんが弟に言い聞かせるように言った。
「それにさっき、黒岩さんに言われましたもの。お願いしますって」
「…なんで、俺のマネージャーの名前知ってるの?」
「え、それはつまり、お、おほほほほっ!」
「そうか。きっと俺が黒岩さんの名前を呼んだんだね。覚えてないや、まだ頭がボ〜ッとしてて」
「あの… ほんとは…」
「?」
「わたくし、ほんとはシュンさまのファンなの」
「なんだ、そうなんだ」
 瞬は思わず微笑んだ。
「わたくし、シュンさまの歌だったら何だって歌えますのよ」
「ありがとう… でもすごいね、黒岩さんの名前まで知ってるなんて」
「今夜のコンサートも、もちろん行きましたのよ」
「え!? でも君、仕事は…」
「あ、えと、その、そう、今日はたまたま夜勤でしたの。よかったわあ夜勤で。ほほほほ!」
「大変なんだね」
「大変は、わたくしよりシュンさまですわ。今夜のコンサート、いつにも増して素晴らしいコンサートでしたわ」
 祈るようにメテオは、さっきの演奏を夢見る瞳で思い起こしていた。
「あれはきっと後世に残る名演奏。まさに伝説のコンサートでしたわ」
 メテオの褒め言葉になぜか瞬はふっと横を向いた。
「あの… なにかお気に触って?」
「ううん… そんなことないよ」
 瞬の言葉と表情はうらはらだった。
「明日の新聞は書き立てるだろうね。『イマシュン、病をおして熱唱!』とかなんとか。
 また、かっこつけてるとか思われるんだろうな」
「そんなの、関係ないわったら関係ないわ!」
 メテオは首をふった。
「あれを聴いた人なら誰もそんなこと思いませんわ、誰だって。今夜のシュンさまは輝いてたって」
「うん… とてもいい出来だった。そう、今までで最高だった。とても満足してるよ」
 そして瞬はいたづらっぽい顔で言った。
「ここだけの話、本当は大声で叫びたい気分なんだ。俺は今、一番輝いてるぞ! ってね」
 子供のような瞬の笑顔に、メテオもひきこまれていつしか笑顔になっていた。
「でも、それは今だけ。今夜一晩だけ」
 瞬は真顔に戻って言った。
「明日になれば、また普段の俺。夢から覚めるみたいにね。仲間も、インタビュアーも、ファンのみんなも
 褒めてくれるよ。夕べのコンサートはすごかった、すばらしかったって。俺も笑顔でこたえる。でも、
 心の中は覚めてるんだ。それは今の俺じゃないって」
「……」
 メテオは今、聞いてはいけない事を聞いている気がした。だからよけい耳をそばだてずにいられなかった。
「いつもそうなんだ。昨日の俺に、今日の俺が押しつぶされそうになる。そうならないよう頑張って、頑張るほど、
 明日の俺が余計に辛くなる…」
 自分の口から語られる言葉を、瞬も驚いて聞いていた。
「でも、そうするしかないんだ… 俺には才能がある。みんなが俺のことを振り向いてくれる。でも、明日になったら
 そんな才能は消えてなくなってるかもしれない。そしてそうなったら… もう誰も俺のことを見てくれない」
 シュンさま。なんて寂しそうな目をするの。
「だから歌うんだ。歌っていないと怖いから。次に歌う時も俺の歌が輝いてるのか、段々自信がなくなってくる。
 それを忘れられるのは、ただ歌ってる時だけなんだ」
 そこまで一気に語って、瞬はふと我にかえった。
「ヘンだな… こんなの今まで誰にも、黒岩さんにも話したことなかったのに… 迷惑だった?」
 メテオは首をふった。
 シュンさま。全部背負ってきたのね。そんな重荷を、ずっと一人で。
「こんなこと、君に言っても仕方ないことなのにね」
 瞬のひとことに、メテオは胸をつまらせた。
「…さあ、もうお休みになって。何も考えず」
 メテオはベッドのシーツをかけなおした。
 瞬はそんなメテオを不思議そうにみつめている。
 照れるメテオに言い訳する代わりに、瞬は言った。
「君のその緑の髪を見ていると、すごく心がなごむんだ。なぜだろう…」
 なんだかとてもやさしくて、そしてなつかしい気持ちになる。
「…おやすみなさい」
「うん… おやすみ」
 言葉でそういいつつ、瞬とメテオは互いを見つめていた。
 この人は、なんでこんなに哀しそうな目をするんだろう。

 ムークはいたたまれなくなり、病室を後にした。
 外はいつしか雨から雪にかわっていた。底冷えの外気にムークは身も心も震え、あてもなく彷徨った。
 瞬とメテオのいる病室のあかりが窓から漏れている。
(…コメットさま!?)
 その病室を見上げるようにコメットが佇んでいた。ピンクの手袋に小さな傘を握って、片手にラバボーを抱き、
 祈るように目を閉じてただ佇んでいた。
「コメットさま!」
 ムークの声にコメットは振り向き、笑顔をみせた。そして黙って両手を広げた。
 ムークは吸い込まれるように、コメットの胸に飛び込んでいった。
 新雪の上にころがったピンクの傘に、また新たな雪が降りつもっていった。

 その雪を降らせた空の雲。それより上に広がる一面の星空。
「わたしめは、時々思うのです」
 ラバボーの上に乗っかったコメットとムーク。
「トライアングル星雲の未来を思うのです。そしてこの地球の事も」
 月の光を浴びて微笑むコメットはムークの言葉を、まるで甘い子守歌のように聞いていた。
「地球には星国とは違った輝きがございます。そしてもちろん星国にも地球にない輝きが。その2つの輝きが、
 なぜ混じり合ってはいけないのかと」
 返事のかわりにコメットはムークをそっと抱きしめた。
「星国の者たちの幸せ、地球の人の幸せ、その答えははたして一つしかないのかと… そんな事を、時々思うのです」
 言葉の代わりにコメットは、またムークを優しく撫でる。気まぐれな月さえムークを優しく照らしている。
「…なんだろ!?」
 コメットのティンクルホンがけたたましく鳴っている。
 電話をとったコメットは大音量に耳を塞いだ。
「ムークさんにだよ」
「へ!?」
 電話をとったムークは、たちまち恐縮した。
「こ、これはお妃さま!? はあ… まどろっこしいのはキライだ、言いたい事があるなら直接… はい、もっともで… 
 いえめっそうもない、そのようなこと決して…」
 コメットと巨大ラバボーは、顔を見合せて苦笑する。
「いえ、しかしそれはお妃さまのご意志で… はあ… はあ!? 決めるのはわたくしじゃないのよって… では一体… 
 そんなの決まってるでしょったら決まってるでしょっ、て… あ、もしもしお妃さま、もしもし!」
 唖然としてムークはコメットを振り向いた。
「…だそうです」
「だそうです、じゃわかんないボ」
「わかるよ。ね」
 姫さまは、空に満ちみちた星たちを見上げた。星たちはそれにこたえてまたたいた。まぶしいほどに。
 そしてここにいる全ての者たちが、地上にいるただひとりの少女に思いをはせていた。

「まったく、こっちも夜中だというのに人騒がせなこと」
 ナイトガウンに身をつつみナイトキャップをかぶったカスタネット王妃は大あくびをしながら電話を置いた。
 そして捨てゼリフを残してベッドにもぐり込んだ。
「あの子は幸せ者ね」

 たとえ思いが叶わなくても。いいえ、思いが叶わないなら。
 窓の外に積もる雪を眺め、メテオは思う。
 今夜一晩だけ、この人の事を想わせて。そうしたら忘れるから。
 たとえ忘れることができなくても、想いを表に出すことは、もう二度としないから。
 窓の外、雪の空の上に輝く星たちに誓いを立て、メテオは小さな寝息をたてて眠る彼の傍らに立った。
 そして歌った。彼がくれたあの歌を。

 何故だろう? 何故だろう? 君に出逢うたびに 心にあふれる 聴き覚えないメロディ

 わたくしはあなたに何もできない。何も返せない。だからせめて、今だけわたくしの思いを受け止めて。
 心を込めて、心の限り、メテオは歌った。
 けれど、涙で胸がいっぱいになる。歌が言葉になる前に。
 シュンさま。今ここにいるわたくしの瞬様。
 こんなにも近くにいるのに、ひとりぼっちの心がふたつ、
 こんなに近くに寄り添っているのに。どうしてひとつになれないの。
 メテオはただ唇をかみしめて、泣いた。

 歌が聞こえる。俺の歌が。
 俺の作った、けれど俺の知らない歌が。
 なんだろう、この歌は。
 瞬はそっと目をあけた。
 白衣に身を包んだ緑の髪の少女が歌っていた。震える声で。
 白い雪に照らされた天使のような彼女が。
 歌ってくれている。俺のために。
 瞬のために流した彼女の涙が、その胸に輝く星のペンダントに落ちる。
 …星!?
 瞬は息をのんだ。
 その歌が、スッと瞬の心に流れ込んだ。
 自分の心から離れた歌が遠回りして自分に戻ってきた。彼女の思い出と共に。

 唇をかんで立ち尽くすメテオに、ベッドに横たわる瞬が微笑みかける。
 涙を拭くメテオのその耳に、そっと静かに、彼の歌声が聞こえてきた。

 自分のためだけ 歌っていたけれど 多分初めてなんだ 僕じゃない 誰かのため歌うのは

 信じられない思いでメテオは瞬を見た。
 瞬は頷き、そして輝く瞳で訴えた。
 一緒に歌おう。
 メテオは小さく頷いた。そして声をあわせて歌った。

 So I say Hello!! 遅れて来た 僕の Muse
 新しい歌を 届けよう 星が導くなら

 そして瞬は笑顔で言った。
「ただいま。泣き虫メテオさん」
 メテオもせいいっぱいの笑顔で言った。
「おかえり。泣き虫シュンさま」