「サーキットの輝き」

 その1 <チームブレン>

 その日は、雲一つ無い快晴だった。
 日本のシンボルとでも言うべき富士山をバックに、色とりどりの車が日本有数の
自動車レースのメッカの一つである富士スピードウェイを疾走していた。
「すっごい音!」
 初めて聞くレーシングカーの爆音に、コメットは思わず耳を押さえた。
母から自動車を使ったレースの事は聞かされてはいたが、間近で見るのは初めてであった。
「コメットさん、耳押さえなくても大丈夫だよ!」
「ねねちゃんも大丈夫!」
 コメットの隣で、剛とねねの双子がはしゃいでいた。むしろ、爆音上げて疾走する
レーシングカーの姿を楽しんでいるようであった。
「姫様、物凄い爆音だボ!」
 ティンクルスターの中からラバボーが顔を出した。その顔は苦痛で歪んでいた。
「でも、楽しい音みたいだよ。剛君もねねちゃんも楽しそうだし・・・。」
 コメットはラバボーの顔を見ながら微笑んだ。
 コメットが剛とねねの双子と三人で富士スピードウェイに来たのは、
居候先の藤吉家の主=景太郎パパの友人が、全日本GT選手権に出場しているレーサーをしていて、
是非応援に来てくれと招待を受けたからであった。剛とねねは勿論OKで、
地球の事をもっと知りたいコメットも、興味津々でこの招待を承諾したのであった。
 そして、コメットが富士スピードウェイに来たのは、ただ単にレースの応援だけではなかった。
「その瞳に輝きを宿す者」
 地球に逃げ込んで行方が分からなくなっているタンバリン星国の王子が、もしかしたら
サーキットにいるのかもしれないと言うラバボーの詞を聞いたからでもあった。
確かに、スポーツの選手は「輝き」を宿している確率が非常に高いから、その中にもしかしたら・・・、
と考えても不思議は無かった。
 それに、母であるハモニカ星国の王妃が、昔地球にいた時に自動車レースを実際に見た事がある
と言う事をコメットが思い出した事も、今回のサーキット行の理由でもあった。

 コメットと双子は今、パドックと呼ばれるレーシングカーの集まる場所に来ていた。
そこには、出走を待っている車や整備中の車、レースに携わるスタッフや見物客などでごった返していた。
しかも真夏だと言う事もあって、レーシングカーの群れから出る熱やパドックにいる人々の熱気なども
あって更に暑さを増していた。3人が今いるピットスタンドも、Tシャツ姿の若者や半袖のレース関係者
などでほぼ満員に近かった。
「コメットさん、もうすぐ来るよ!」
「もうすぐって?」
「あの車、パパのお友達が乗っている車!」
 剛がメインストレートを指さしながら、コメットの腕を引っ張った。
 すると、陽炎の中から一台の白いレーシングカーが、物凄いスピードでコメットの目の前に現れた。
ゼッケンナンバーは999、空気抜きのダクトが多数開けられたボンネットに、TVの人気ヒーローである
「超愛戦士メタルマン」の顔が書かれた、タイヤを納めるフェンダー部分が左右に大きく張り出し、
トランクに巨大なウイングが装着されている日産スカイラインGT−RのGT選手権仕様のマシンである。
「あ゛〜、あの車に物凄い輝きを感じるボ!」
 爆音を上げて目の前を通過したGT−Rを見て、ラバボーが叫んだ。ふと目線を追うようにコメットと
剛とねねが、第一コーナーに向かって行ったGT−Rの丸形テールランプを見つめた。
「ピットに行ってみよ!」
 何かが弾けたようにコメットが、ピットスタンドの階段に向かって駆け出した。
「つおし君も行く!」
「ねねちゃんも!」
 剛とねねの双子も、釣られるようにコメットの後を追う。
『大変なタイムが出ました!ゼッケン999番、チームブレン・メタルマンGT−Rの沢木選手が
1分25秒499、ワークスを押さえてのGT−R勢トップタイムで、暫定ポールポジション獲得です!!』
 場内アナウンスの女性の声が、興奮した様子でパドックを流れた。騒めくパドックの中を駆け抜けた
コメット達の行く先は勿論、取り敢えずの予選1番手のタイムを叩き出した「チームブレン」と言うチームの
ピットであった。コメットも剛もねねも、ピット入場可能なゲストパスを首からぶら下げており、サーキットを
管理するオフィシャルも、何も言わずに3人をピットに通していた。
「やったぞ!ポールポジションだ!!」
「今頃他のチームが泡食っているぞ!」
「流石は沢木さんだ!進藤さんの目に狂いは無かった!!」
 ピットに詰めているチームスタッフたちは、歓喜の表情でそれぞれガッツポーズを取っていた。
その中で一人、レーシングスーツを着た一人の中年男性が、横にいるカラフルなコスチュームを身にまとった
20歳前後の少女と共に、涼しげな表情でモニターTVを見つめていた。
「お祭騒ぎみたいですね・・・。」
 コメットが中年男の顔を見て言った。
「やぁ、君達か・・・。うちの連中は、ご覧の通りのお祭騒ぎさ・・・。」
 中年男が苦笑いしながらコメット達に言う。剛とねねは、スタッフ連中の歓喜の声に胸をワクワクさせていた。
「当然よ、何てったって翔一君は、私たちの大事な王子様だもの・・・。」
 少女が胸をときめかせながら言う。
「王子様ね・・・。真名ちゃん、それはいくら何でも誉め過ぎだろ?!」
「だって進藤さん・・・、私、翔一君を見ているとどうしても・・・。」
 進藤と呼ばれたレーシングスーツの中年男が突っ込んだセリフを入れた事で、真名と呼ばれた少女が顔を赤らめた。
コメット達はそんな2人を見て楽しそうな顔をしていた。
「そうだ真名ちゃん、紹介するよ・・・。この子達は俺の親友の家の子供たちだ。ちっちゃい双子は剛君とねねちゃん、
その後ろにいるのがコメットさん・・・。コメットさんは何でも、遠い外国から来た娘さんらしい・・・。」
 思い出したように進藤が、コメット達を真名に紹介した。一応コメットは、遠い外国からホームステイして来たと
言う事になっていて、居候先の藤吉家でもそうなっていた。但し、コメットが遠い外国ならぬ遠い宇宙の星から来た
「ホシビト」である事を知っているのは、ここでは剛とねねの双子のみであった。
例え言ったとしても誰も信用してくれるはずなどないので、双子達は敢えてコメットがホシビトだと言う事を
誰にも明かしていないのであった。勿論、ラバボーの存在も秘密で、出てきたとしても変わった縫いぐるみと言う事で
片づけられていた。
「コメットです。」
「私は真名・・・、風戸 真名よ。チームブレンのレースクイーンをやっているの、よろしくね・・・。」
 コメットと真名が、微笑みながら挨拶を交わす。一瞬、和やかな雰囲気がピットを包んだ。
「さぁ、翔一君が戻って来る頃だ・・・。皆、出迎えの準備は整っているか?!」
 その後ろでは、進藤がチームスタッフ達に厳しい目を向けていた。その瞳は闘いに燃えているそれであった。
自動車レースの世界では、コンマ1秒が勝負の分かれ目の世界であるため、どんな時でも迅速に行動する事が
要求されていた。チームスタッフ達は進藤の眼を見て頷くと、それぞれのセクションで自チームのマシンを出迎える
準備を整えて始めていた。メカニック達は整備工具を準備したり、データ収集のためのノートパソコンを用意したりと
慌ただしい動きを見せていた。
 その時、ピットインを告げるサイレンがピット内を駆けめぐった。予選のタイムアタックを終えたマシン達が
次々と戻って来たのだ。

 その中には勿論、暫定ポールポジションを取ったチームブレンのGT−Rも含まれていた。
 サイレンのホーンの音と共に、チームブレンのGT−Rは滑り込むようにピットに戻って来た。
GT−Rのエンジンが止まると、群がるようにメカニック達がマシンに駆け寄って来る。
 やがてGT−Rのドアが開くと、そこからレーシングスーツにフルフェイスのヘルメットと言う出で立ちの
一人の男が現れた。男はヘルメットのストラップを外すと、まだあどけなさの残る少年のような素顔を外に晒した。
「やったな翔ちゃん、ポールポジションだぞ!」
 メカニックの一人が、嬉しそうに「翔ちゃん」と呼んだ若者の肩を叩いた。
「ホント?マジですか?!サスペンションがポンポン跳ねてドライブしづらかったけど、マジで一番時計何スか?!」
 若者は能天気な表情で、顔を合わせたメカニックに言う。
「ああ、取り敢えずはって所だな・・・。」
 進藤もニヤけた顔で若者を迎える。
「でも、油断は禁物だ。今はまだ予選1回目だし・・・、2回目ともなるとニスモやトムス、セルモ、それに無限等の
ワークスが黙っちゃいないだろう・・・。」
「分かりました、気合入れてマシンを調整しておきます・・・!」
 急に厳しい顔になった進藤を見て、メカニック達がGT−Rに向かって群がるように駆け寄った。
すると数人が手押しでGT−Rをピットの中に押し込んで行く。
すかさずピット内に待機していたメカニック達が、内蔵されたエアジャッキで数センチの高さに持ち上げられた
GT−Rの整備調整に係り始めていた。
「わぁ、修理ビトさん達がいっぱい・・・。」
 コメットがメカニック達を見て思わず漏らした言葉である。
「修理ビトさん?!」
 剛とねねが好奇心丸出しの眼でコメットを見た。
「星国には、建物や機械や色々な物を修理するのが得意な人達がいるの・・・。それが修理ビトさん・・・!」
 楽しそうな表情で、コメットが剛とねねに語る。剛とねねはふーんと頷く。
「面白い例えをするね、君は・・・。」
 例の若者が、コメットを見てにこやかに言う。
「え、そうですか?」
「あ・・・、ゴメンゴメン。自己紹介遅れちゃって・・・。俺は沢木翔一、ご覧の通りレーサーやってます。よろしく・・・。」
 沢木翔一と名乗った若者は、レーシンググローブを脱ぐと笑いながらコメットに握手を求めた。
「コメットです、真名さんや進藤さんから翔一さんの事は色々聞いてます・・・。」
 微笑みながらコメットは、翔一の手を握った。その感触に力強さと優しさ、そして温かさををコメットは肌で感じ取っていた。
「姫様・・・。この人の輝き、あったかくて力強いボ・・・。」
 ラバボーが小声でコメットに言う。
「翔一く〜ん!」
「あ、真名ちゃん?!」
 ラバボーの声をかき消すように、真名の声が響いた。この為翔一がラバボーの小声の事を気にする事は無かった。
「翔一君、お疲れさま!」
 真名がボトルに入ったミネラルウォーターを翔一に手渡した。
「サンキュー真名ちゃん!丁度俺、喉が渇いていた所なんだ!!」
 翔一はレーシングスーツの上半身をはだけると、ボトルのミネラルウォーターを一気飲みした。
その姿が少々滑稽だったので、コメットも双子も、そして真名や進藤と言ったチームブレンの面々も思わず微笑んだ。
「何だか、清さんと明日香さんに似ているね・・・。」
 思い出したようにコメットが、知り合いの高校野球の選手と、その彼を応援しているバトントワラーの事を思い出した。
コメット自身も、明日香というバトントワラーと一緒に野球の応援チームを組んだ事があるので、その事が真っ先に
思い出されたのだ。
「そうだね、翔一さんが清さんで・・・。」
「真名さんは明日香さん・・・!」
 剛とねねも釣られて言う。
 その時、不意に携帯電話の着メロが流れた。コメットは思わずハッとしたが、それは進藤の持っていた携帯の物であった。
「もしもし、進藤ですが・・・。森川君・・・?いますが・・・。」
 進藤は携帯を片手に、ノートパソコンに向かってマシンのデータ収集を行っているメカニックの方を向いた。
「森川、電話だ!実家のお母さんからだ・・・!」
 そう言って進藤は、森川と呼んだメカニックに向けて携帯を投げた。それを森川が両手でキャッチする。
「代わったよ、おふくろさん・・・。ん・・・、ん・・・?何だって?!」
 悲鳴のような森川の声に、一同は驚いて彼の顔を見た。
「親父が・・・、倒れた・・・?!」
 森川は呆然とした表情で、携帯を持ったまま立ちすくんだ。
「どうした、森川?!お前の親父さんが倒れたって言うのか・・・?!」
 進藤は森川に向かって駆け寄った。
「森川さん・・・!」
「森川さん、しっかりして・・・!」
 翔一と真名も、心配そうな顔で森川の前に駆け寄った。只事でない様子に他のメカニックは勿論の事、
コメットや剛、ねねまでもが森川の前に群がっている。
「俺・・・、俺、どうしたらいいんスか・・・?」
 戸惑いと絶望が入り混じった声で、森川が一同に言う。
「どうしたらって・・・。」
 進藤も戸惑っている。
「ここで俺が抜けちゃったら・・・、レースどうするんスか・・・?」
 チームのスタッフに取って、心臓の突き刺さる思いを突いた言葉であった。森川の担当するセクションは、
マシンの状態を無線でノートパソコンでモニターすると言う重要な役割で、実質的に小規模プライベートチームである
チームブレンに、森川の代わりになる人間は一人もいないのが現状であった。その事を考えると、森川が父親の
不幸に駆け付けると言う事は、チームが予選リタイアするのと同じであった。
「心配ないですよ、早くお父さんの所に行って下さい・・・。森川さん!」
 突然、思いがけない事を翔一が口にした。それを見て進藤を除くレーススタッフが口をポカンと開ける。
「もし、森川さんがここでお父さんの所に行かなかったら、一生後悔しますよ!!」
 翔一の眼差しは真剣その物であった。普段の能天気さとは裏腹に、何かを自分に言い聞かせているようにも見えた。
「何だろう、翔一さん・・・。何か違う・・・。」
 コメットは先程と違う翔一を見て、思わず呟いた。彼女の眼には、彼の「輝き」が悲しみに濡れているように見えていた。
「そうだ!行って来い、森川!!」
 翔一の心情を知っているかのように、進藤が森川に声を掛けた。
「良ちゃん・・・、何を言うんだ?!」
 マイクの付いた大きなヘッドフォンをした、チームマネージャーと思われるサングラスの男が驚いた顔で進藤に言う。
「大丈夫だよ元ちゃん・・・、森川の代わりになる奴は俺が何とかする・・・!」
 進藤が、心当たりのあるような素振りでマネージャーに言う。
「進藤さん・・・。」
「だから、安心してお父さんの所に行ってやれ・・・、森川!」
 進藤は携帯を取った森川の右手を上げながら、森川の左肩を叩いた。その顔は、後は俺に任せておけ・・・、
心配するなとも言っているかのようであった。
「わ、分かりました・・・!それじゃ、行って来ます・・・!!」
 森川は進藤に携帯を渡すと、急いでピットを後にした。
「おふくろさんによろしく言っておいてやれよ・・・!!」
「後は任せておいて下さい・・・!!」
 進藤と翔一が手を振りながら、森川を見送った。
 やがて、森川の姿がパドックから消えると、進藤はため息を付いた。その挙動をコメットは見逃さなかった。
「大丈夫なんですか?森川さんの代わりになる人・・・。」
 心配そうな声でコメットが進藤に言う。
「ああでも言わなければ、森川の奴は両親の所には行かなかった・・・。」
「嘘なんですか?!」
 コメットが驚いた顔で進藤を見た。それを見てチームスタッフが騒めき始める。
「落ち込んだ奴がチームにいたら、それだけで迷惑が掛かる。だから俺は森川にああ言わざるを得なかった・・・。」
 その一言に、コメットもチームスタッフも一斉に沈黙した。
「で、代わりの奴はどうするんだ・・・?」
「それはこれから探すさ・・・、元ちゃん。」
 進藤はマネージャーにそう言うと、新品のレーシングタイヤに腰を掛けた。

→その2へ